Archive for 12月, 2007
Fans 2.0
FIFA クラブワールドカップの観戦に行った。もちろんミランを見るという主な目的がありメディア等でも話題になっている浦和のファンとその態度や様子を見ることも少し楽しみにしていたが、そこは全く期待外れに終わった。というのは、ゴール裏を陣取るクルヴァ達を筆頭に個人やチームの応援歌(守勢の場合はブーイング)を時系列順に盲目的に続けるといった日本の野球に見られる応援方式に倣ったもので、試合の展開に存在する調子や速度に呼応し選手に伝えるといった観戦姿勢に到達しておらず、競技場で騒ぐという定義で言えば英国のフーリガンと、あるいは非日常的に大声を出して自己満足に浸るという定義で言えば日本のカラオケとその本質に何ら違いがないことにある。
サッカーチーム(という企業)がその業界の中で高い競争力を維持していくには、直接的でも媒体を使った間接的でも、次の3つの共同体の意思伝達が双方向で行われていることが必要となる。
- チーム(制作現場)
- フロント(経営陣)
- ファン(顧客)
競技場での試合中にファンが直接意思を伝えるという方法を用いていたブラジル代表の例をここで紹介する。
個人的にブラジル代表については、米国で開催されたワールドカップにおいて大陸間を車で移動してきた大応援団の真ん中で共に観戦した経験があるためこの映像の感覚は十分に理解できる。彼らは序盤の緊張感ある展開であれば、ボールの音が聞こえる程静寂に包まれるくらい席に着いて観戦し、リードすれば総立ちで楽器を鳴らし声を上げ、つまらないミスや展開にはブーイングで選手達に意思を直接伝えるのである。
昨日の試合で具体的に言えば、自陣で判断に迷ったヤンクロフスキが浦和の選手に当ててボールを出した場面で浦和ファンから起こった拍手や歓声(明らかにフェアな意識でその技術を讃えた行為ではなく浦和の好機だと思っている)や、後半負けていたにも関わらず守りから攻めの切り替えが遅れている時に起こらなかった非難の声(チームの歌を歌っている)等、欧州のサッカー価値観を基準に考えると、この合いの手以上に間抜けな場面が多かったように思える。(実際には通なミラニスタも大勢いて、声援とブーイングが入り交じりピッチ上では観客が盛り上がっていただけにしか聞こえなかったのかもしれない。)
しかし忘れていけないのは、ここで観戦姿勢の善し悪しを決定するつもりはないということだ。演劇や小説といった文学、音楽、あるいは事実史などの学問等の鑑賞にも姿勢の類似性が存在するが、それは多様であってなんら不思議ではない。作者や個々の俳優を目的で鑑賞しても良いし、もちろん目的自体がなくても良い。ただ興味を持った対象がその世界において肯定的な状態で末永く存続していけるのかどうか、ファンの意識がその要因として存在し、他者の行為を正しい価値観で評価できることが望ましい状態へと辿るということを理解しておく必要がある。
さらにこの映像で興味深いのは、日本語でありながら媒体である実況者が的確に描写している点にある。特にチームからファンへの一方向なテレビメディアは、不正確、あるいは脚色して伝えてしまうことがある。そうすると、文化や価値への理解が浅いファンの意識がどのように形成されてしまうのかは明らかだろう。(Sky チャンネルの英語やイタリア語で実況を聞くと民放の幼稚さが浮き彫りになる。)そういう意味では形容詞の使い方が不自然な日本の愛好家による放送中継や実況を耳にするよりも、メインスタンドにも関わらず浦和の観戦愛好家の歌声やブーイングを聞きながらオフ・ザ・ボールのスーペル・ピッポとジラルディーノの違いやピルロのドロップするフリーキックを楽しめたことは幸運であったと思う。
現段階で日本の環境に多くを求め過ぎなのかもしれないが、もし今後同カードが実現し結果が逆になる日がくれば、マンU対ミランを Old Trafford で観戦している気分になれるかもしれないと期待している。
更新: FC JAPAN がコラム”マルディーニにブーイング? ~壊れたレッズファン~” で同様のことを述べている。
Apple Mac Genius looks like Bill Gates
twitter's fotolife posts a newspaper clipping about Apple employee who looks a lot like Bill Gates. He is Bob Takahashi working for the retail store, Apple Shinsaibashi as a Mac Genius. The Japanese newspaper tells that he gets to be popular and there is no end to the number of customers who worry him to take commemorative photos.
Now this is what I would call Boot Camp! Even more than Leopard or iPod, there is no doubt that he does a lot of good for Mac sales in Japan.
Could not sense the atmosphere?
2007 新語・流行語大賞の候補となっていた “KY(空気が読めない)” は、実に現代の日本らしい表現だと思った。
Kは「空気」、Yは「読めない」の略。以前は「空気を読め」といった意味で使われていたが、最近は「あいつKYだ」のように「空気を読めない」あるいは「空気を読めないヤツ」の意味で使われる。9月に辞任した安倍首相に関して頻用され、一般に広まった。
それは愚かな行為や言動に対する揶揄という表面的なもの以外に、”出る杭は打たれる” という諺にも見受けられるような失敗を恥とし得手よりも不得手を改善しようとする無意識に植え付けられた教育方針や、皆で共同作業をする農耕民族的な倫理観をも同時に表していると感じたからだ。
ここでこの感覚の根底にあるタルムードの教えを一つ引用し、空気を “読める人” を “賢い者”、”読めない人” を “愚かな者” に置き換えるとその真意が見えてくる。
賢い者は、自分が何を話しているのか知っており、愚かな者は、自分の知っている事を話す。
もし “空気を読めない” 人がその道の未熟者であったなら、その愚かな言動を正すよう考えるべきであって “空気を読め” と主張することは何ら建設的な意見とはならないばかりか、彼自らが愚かな状態であったということに気付く機会を奪っていることになる。逆に習熟者であったとしても同様なのだが、状況に応じて沈黙し静観することが “賢い者” なのだろうと思う。
そうすると、大人になると誰も間違いを指摘してくれなくなるという悲しい事実も、実はその周りにいた誰もが “賢い者” だったという側面を持ち得ることになる。
その時にも思ったのだが、「間違いを指摘してもらえる大人」にならなければいけないとつくづく思う。
インターネットを伝達手段とした場合の不特定多数への信頼は効率が良いことは明らかではあるが、実社会においては “ハッカーと画家 コンピュータ時代の創造者たち” で Paul Graham 氏が主張するようにタブーへの危険性を避けるべきだろう。
話を戻すと、つまり “空気を読め” と言う人と “空気を読めない” と言われる人は、同じ(愚かな)場所にいて違う方向を向いているということにならないだろうか。結果的に安倍首相は閣僚という道において未熟者であったため “空気を読めない” と言われたのかもしれないが、もしこの言葉を同業者が使っていたのなら、辞任前に首相交代を実現できなかった彼らもまた愚か者である。(もっとも、傍から見てもピーターの法則を理解しておく必要がある。)
この言葉が一般的にどう広まっているのか多いに気になるところだが、他者に向けて使いたいとは思わない。
Apple Remote won’t awake from screensaver in Leopard
In the living-room yesterday, my wife complained about that Apple Remote won’t awake from screensaver in Leopard. So I looked at Apple Support Discussions, same issue has already reported there as a bug.




Delicious