Fans 2.0

2007年 12月 14日

FIFA クラブワールドカップの観戦に行った。もちろんミランを見るという主な目的がありメディア等でも話題になっている浦和のファンとその態度や様子を見ることも少し楽しみにしていたが、そこは全く期待外れに終わった。というのは、ゴール裏を陣取るクルヴァ達を筆頭に個人やチームの応援歌(守勢の場合はブーイング)を時系列順に盲目的に続けるといった日本の野球に見られる応援方式に倣ったもので、試合の展開に存在する調子や速度に呼応し選手に伝えるといった観戦姿勢に到達しておらず、競技場で騒ぐという定義で言えば英国のフーリガンと、あるいは非日常的に大声を出して自己満足に浸るという定義で言えば日本のカラオケとその本質に何ら違いがないことにある。

サッカーチーム(という企業)がその業界の中で高い競争力を維持していくには、直接的でも媒体を使った間接的でも、次の3つの共同体の意思伝達が双方向で行われていることが必要となる。

  • チーム(制作現場)
  • フロント(経営陣)
  • ファン(顧客)

競技場での試合中にファンが直接意思を伝えるという方法を用いていたブラジル代表の例をここで紹介する。

個人的にブラジル代表については、米国で開催されたワールドカップにおいて大陸間を車で移動してきた大応援団の真ん中で共に観戦した経験があるためこの映像の感覚は十分に理解できる。彼らは序盤の緊張感ある展開であれば、ボールの音が聞こえる程静寂に包まれるくらい席に着いて観戦し、リードすれば総立ちで楽器を鳴らし声を上げ、つまらないミスや展開にはブーイングで選手達に意思を直接伝えるのである。

昨日の試合で具体的に言えば、自陣で判断に迷ったヤンクロフスキが浦和の選手に当ててボールを出した場面で浦和ファンから起こった拍手や歓声(明らかにフェアな意識でその技術を讃えた行為ではなく浦和の好機だと思っている)や、後半負けていたにも関わらず守りから攻めの切り替えが遅れている時に起こらなかった非難の声(チームの歌を歌っている)等、欧州のサッカー価値観を基準に考えると、この合いの手以上に間抜けな場面が多かったように思える。(実際には通なミラニスタも大勢いて、声援とブーイングが入り交じりピッチ上では観客が盛り上がっていただけにしか聞こえなかったのかもしれない。)

しかし忘れていけないのは、ここで観戦姿勢の善し悪しを決定するつもりはないということだ。演劇や小説といった文学、音楽、あるいは事実史などの学問等の鑑賞にも姿勢の類似性が存在するが、それは多様であってなんら不思議ではない。作者や個々の俳優を目的で鑑賞しても良いし、もちろん目的自体がなくても良い。ただ興味を持った対象がその世界において肯定的な状態で末永く存続していけるのかどうか、ファンの意識がその要因として存在し、他者の行為を正しい価値観で評価できることが望ましい状態へと辿るということを理解しておく必要がある。

さらにこの映像で興味深いのは、日本語でありながら媒体である実況者が的確に描写している点にある。特にチームからファンへの一方向なテレビメディアは、不正確、あるいは脚色して伝えてしまうことがある。そうすると、文化や価値への理解が浅いファンの意識がどのように形成されてしまうのかは明らかだろう。(Sky チャンネルの英語やイタリア語で実況を聞くと民放の幼稚さが浮き彫りになる。)そういう意味では形容詞の使い方が不自然な日本の愛好家による放送中継や実況を耳にするよりも、メインスタンドにも関わらず浦和の観戦愛好家の歌声やブーイングを聞きながらオフ・ザ・ボールのスーペル・ピッポとジラルディーノの違いやピルロのドロップするフリーキックを楽しめたことは幸運であったと思う。

現段階で日本の環境に多くを求め過ぎなのかもしれないが、もし今後同カードが実現し結果が逆になる日がくれば、マンU対ミランを Old Trafford で観戦している気分になれるかもしれないと期待している。

更新: FC JAPAN がコラム”マルディーニにブーイング? ~壊れたレッズファン~” で同様のことを述べている。

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