以前話題にした 梅田流で言う “ファン進化論” のような議論が、スポーツライターの金子達仁氏の発言により再燃しそうなところだ。
J-CASTニュース : 「浦和レッズサポーター」の応援 有名スポーツライターが酷評
結局この試合は、0-1で浦和レッズは破れ、ACミランはその後の決勝でも勝利し、クラブチームの「世界一」に輝いている。また、「浦和レッズサポーター」についての報道も好意的なものがほとんどで、例えば07年12月22日付け読売新聞(夕刊)の浦和担当記者が書いた記事では、
「熱狂的なサポーターを持つクラブと言えば、ボカジュニアーズ(アルゼンチン)やリバプール(イングランド)が思い浮かぶ。浦和も負けてはいないはず」
と、「浦和の応援は世界レベル」とも言わんばかりの評価をしている。
大衆紙で且つサッカー界で我流のスタイルを目指すのであれば、浦和の応援団とその応援の姿勢を世界レベルと伝える判断で書いても良いだろう。
「試合の空気を読んでほしい、と強く言いたい。0-1で負けていて、残り時間はどんどん少なくなっていく。でも、0-0の時と変わらずに歌っているわけですよ。同じ応援歌がタイムアップという絶望の瞬間にもスタジアムに鳴り響いている。こんなスタジアムでは日本のクラブは勝てないな、と思いましたね」
続いて金子氏の意見であるが、”KY” という流行語を他者に向けて使うことは伝達手段に於いて好ましい方法では無いといことは先の投稿を参照して頂きたいし、”空気” というのは余りに抽象論に偏るのでここでは “試合の展開や局面” と言い換えることを提案したい。また、ファンの応援が前提にあってチームが勝てない、という理論には少し強引さを感じる。
サッカーチーム(という企業)がその業界の中で高い競争力を維持していくには、直接的でも媒体を使った間接的でも、次の3つの共同体の意思伝達が双方向で行われていることが必要となる。
- チーム(制作現場)
- フロント(経営陣)
- ファン(顧客)
私は過去の投稿でこう述べたが、現実として浦和は日本国内やアジアで勝っているのだ。この応援の姿勢であっても、欧州とは別の様式であってもアジアでは勝つことができる。そういう意味で “我流のスタイルを目指すのであれば” という条件付きで世界レベルと言っても良いかもしれないが、あくまでチームがサッカー先進国と肩を並べて勝負できる状態が今後必要となる。しかし、チームの戦術はドイツ気触れ、ファンの応援様式は南米気触れ、経営は日本企業式ということでは三者の意思が通いあっているとは言い難いだろう。(しつこいようだが、この状態でもアジアまでは勝てる。)
「浦和サポの何を知ってるというのか…。欧州かぶれなんだよ、金子氏は。理解できない」
「なぜ何でもかんでも、欧州が良いと決めてしまうその基準が理解出来ない。否定する事は簡単。ならどうするべきか?具体策まで書かないと納得は出来ないですね」
「日本のオリジナリティだとしたら、それを欧州に合わせる必要がどこにあるのだろうか。オリジナリティこそ我々のプライドだろ」
「ほんとこいつの欧州かぶれがむかつく!!!」
最後に盲目的に信仰されている方の意見であるが、ジャーナリストにも関わらず NG ワードを使ってしまい、否定的感情論の世界のドアを叩いた金子氏は(これも抽象的な)”欧州かぶれ” と呼ばれることになってしまった。ぜひ今年は “欧米か!” と並んで流行語を争ってほしいと思う一方、サッカーの起源が欧州なことを考えても彼らが悪意の表現として “かぶれ” と言ってしまうことはなんら不思議ではない。つまり、サッカーの歴史的、文化的価値に興味が薄いのだ。(決してこの姿勢を否定している訳ではない。)
ところで、何故アジアの中で日本や韓国の政治家はネクタイをしているのだろうか、とAEAN会議を見て考えたことはあるだろうか?これを “かぶれ” ると並べることには少し乱暴で抵抗を感じるかもしれないが、サッカーという言語の使用設計をしてきた欧州に対して敬意を示している、と考えると “かぶれ” と呼ばれても心地が悪くならない。

少し話は逸れるが、”かぶれ” るという言葉の変換の候補が面白かった。
- 冠れる
Google では「冠ることができる」という意味が多く、選択+コマンド+D+Ctrl の辞書、SPACE ALCにも該当文書がない。
- 被れる
Google では「帽子をかぶる」という意味が多く、他は同上。
- 気触れる
Google では、Yahoo!辞書 – かぶれる【気触れる】がトップヒット。欧州に侵されている、という考えはあながち間違いではないだろう。
最後にもう一つ、”クラブワールドカップ ミラン戦の浦和サポーターの応援態度について – Yahoo!知恵袋” にて面白い記事を見つけた。もし、日韓戦やブラジル対アルゼンチン、あるいはイタリア対フランスのようなナショナリズムを含むのであれば、相手選手全員にブーイングをすべきなのだが、有名選手のみに反応してしまうのは “lowbrows” あるいは “groupie” と表現されても文句は言えない。
ナショナリズムと言えば、サッカー愛好家のお笑い芸人が「日本国民全員で浦和を応援しよう」と(自局のヨイショかもしれない)言っていたそうなのだが、
サッカー浦和、健闘?完敗? ミラン応援日本人「けしからん」か:スッキリ!!:J-CAST テレビウォッチ
「(ミランに対し)完全アウェーにしてやりたかったですけど」「日本でやってんですから」
それは丁度タイミング良く公開されていた杉山茂樹氏のこのコラムを参考にしてほしい。
[チャンピオンズリーグの真髄] 〔第57回〕クラブに対する“ナショナリズム”。 – goo スポーツ:NumberWeb -
それこそがチャンピオンズリーグの真髄である。そしてクラブW杯は、その文化の延長線上にある。「4年に1度のW杯」と同じノリで、「浦和レッズを応援しない日本人は非国民」と言い出す人と、クラブW杯との相性は、本来、滅茶苦茶悪い。「それ(代表)はそれ、これ(クラブ)はこれ」と区別すべき、まったく別物なのだ。そして「これ」を認めなければ、Jリーグは発展していかない。
日本の場合、媒体となるべきジャーナリストとテレビのサッカーに対する意識と姿勢が対局に在り過ぎて新しいファンが混乱してしまうのは避けられない状態となっているようだ。Jリーグ版 “Controcampo” のような企画が成り立つのはいつの日だろうか。