Argument
妻と育児作業の意思疎通について気になることがあった(言動と行動が違ったり、予定を打ち合わせずに単独行動を取る)ので注意を喚起したところ「私のすることを見守って欲しい」という主張を逆に受け、この会話の流れに違和感を覚えたのだが「錯誤論:論理的/科学的に正しい推論/判断を妨げるもの」でその理由を垣間見た。
反論—虚偽の虚偽
相手のロジック(argument)を「虚偽だ」「fallacy」だとレッテルを貼って、それ以上の議論をしない錯誤である。
「虚偽の論理だから推論は間違い」という命題は正しい(というより同語反復だ)が、どこがどう虚偽で、どう間違えているのか明確にしない限り、つまり前件の妥当性を論証しない限り、有効な反論と は言えない。
これはKY が流行ったときに感じたことと似ているが、テレビ番組で見た性別差に起因する考え方なのかもしれないという疑問も拭えない。しかし議論や会話の原則は共通概念として持っていないと、無明の強い幼少の頃に体験したような、いつまでも不毛な水掛け論が続くことになる。(地図の描き方のように、この原則の男女差についてはここで考慮していない。)
Argument利用者の自己責任
注意すべきは、argumentでは利用者に責任があるということだ。あるargumentが 正しいと思うかどうかは聞いた者(利用者)自身の判断・意志であって、信仰や思 想の強制はできない。正しい推論であれ錯誤した推論であれ、売人が聞く人を説得しようとしていることは同じである。そして、正しい推論であれ錯誤した推論 であれ詭弁であれ、それを信じるかどうか聞く人の責任である。言いかえると、 argumentの責任は説得者が負うのではなくて、それを正しいと思った自分(利用者)の責任である。もし命題の売人が錯誤や詭弁を展開するのであれば、聞く側が信じなければいいだけのことで、argumentの世界ではそれ以上する必要はない。もしなにかするとしたら、「ここがおかしい」と具体的に指摘して、どこがおかしいか納得できるようにする。
最終的に、この彼女の命題に対しては退席した。:-)
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フリーランスのウェブとiOSアプリ開発者で一児の父親。JavaScript, ActionScript, AppleScript, PHP, SQL, ObjCの読書実行試験運用管理を生業とし、BIND, SMTP, APACHE を MacBSD, FreeBSD, Mac OS X で使い、エディタは Vi, mi, Kod と遷移して現在は Smultron、そして Coda と Xcode の IDE を重用しています。暇を見付けてはバックギャモンゲームをオンラインで楽しんでいます。