educational background

第二弾ととなる iPhone アプリケーションを展示していたところ、あるコーカソイドの老人に「学校で学んだのかね?」と(貧そなリスニングではhave you ~ collage or ~ school?)聞かれ、”No, I have not been collage student, learning by myself as the game, why?” と応えたのだが返事がなく、少し気落ちした。テクノロジーに興味がないのかと思いきやゲームの解析に利用しているらしく以下は英語で説明したいのだけど、文化や時代的な側面を含むので面倒になったこと。
個人的に大学は中退したのだが、研究室は教授がコネ企業へ送り込む施設だという構造が見えた頃に醒めてしまったような気がする。少し言い訳をすると、Macintosh を米国で目にし Windows 95 が発売される中、ワークステーションでコマンドを打つよりも GUI やセガサターンで夜な夜なインターネットをするに決まっている。同級生で他校のシステムに侵入した(試験データを盗んだらしい)ことがバレて退学になった人がいた時代だ。そんな背景があってか学歴への執着や偏重がないのだが、都内に拠点を移してからは仕事上のお付き合いの場といったところで、これは世代間のキャズムなのか、困ることが多少あったことも事実だ。
なかの人から見た大学と大学院がクソな理由
上記エントリに関連してコメントさせていただくと、大学人としては、大学が「学問」の府であるというのは絶対に譲りたくない主張です。しかし、その一方でほとんどの大学の目標の1つに、高度な職業人を輩出することが上げられていることから、就職予備校という役割があることは社会的に見て当然のことではないかと思っています。
大学へ行く(決して「出る」ではない)目的について、能天気な高校生では答えも見つけられず両親も具体的に説明してくれたことはない。しかし恐らくこのような就職予備校としての意味合いが強かったのだろうと思う。
学歴 – Wikipedia
工業製品の大量生産、大量消費と、経済成長を前提とした社会においては学歴社会が有効に機能する。
ステレオタイプを承知で団塊世代の典型的な思考過程で察するに、彼らは時代に流されていただけで、学歴の起源は中国だったという歴史には驚きだが、およそ2倍の歳を経て親の心を理解できた(ような気がする)のはとても幸運だ。
ポール・グレアム「学歴社会の次に来るもの」 – らいおんの隠れ家
塾というのは事実上、容器にあいた穴だ。学歴評価を取り入れたのは、次世代への権力の単純譲渡を封じるためであり、塾が象徴するのは、権力者がその塞がれた容れ物に抜け穴を見つけているということだ。つまり塾とは、ある世代の財産を引き継ぐ者として次世代の学歴に変換させる仕組みなのだ。
確か世襲政治の日本には、ナントカ塾という名前の大学がいくつかあったような…。(N)
// 諭吉クラック!
更新:今高校生ならIAMAS 情報科学芸術大学院大学を志望したい。
個人事業主のウェブとiOSアプリ開発者で一児の父親。JavaScript, ActionScript, AppleScript, PHP, SQL, ObjCの読書実行試験運用管理を生業とし、BIND, SMTP, APACHE を FreeBSD, MacBSD, Mac OS X で使い、エディタは Vi, mi, Kod と遷移して現在は Smultron、そして Coda と Xcode の IDE を重用しています。作業の自動化や効率化の導入を応援しています。
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