物理ボタンの配置
ハードの設計は全くの素人だが子供に使わせてみると、如何に実生活に密着し常用的に誰もが容易に利用ができるかという、使い勝手(ユーザビリティ)の違いが明確に分かることがある。任天堂は単純に子供が使うから丈夫なものであれば良いと思っているのかもしれないが、TheCableBox に納めるには辛い大きさの電源ケーブルの設計も併せてなんとか考えて欲しいと思った。
ダウンロード販売が主流になったらまた購入します。;-)
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しかし、日本はどうか。
もうおわかりでしょうが、「お金を出す人が一番えらいんだ。お前ら、オレには逆らうな。さあ、作品を作れ!」というスタンスなんだそうです。
類似する言葉をノートパソコンの購入を相談してきた母親が言っていた。目的や用途といった要件を聞いている時に、考えが整理できず面倒になったらしく「あなたは黙って私に合うものを買えば良いのよ!」というものだった。業務に於いても丸投げ体質の意識はこのようなものだろう。(ある目標の途中で挫折し外に当たる、くれない族が良い例だ。)
引用した投稿から考えたことが2つある。まず一つ目は、そもそも人が金持ちになる必要があるのかということだ。関連して生産性云々というのも真の堕落者に奮起を促し円を発行するためのドル債券を購入(あるいは、農作物を含め強制的に既に買わされているものの借金をドルで返却)するためのもので、利者主義を念頭に活動してる人とっては疎遠で付随的な言葉だと思う。
次に母親の例を含め団塊と言われる世代は、戦後の混乱の中で正しい教育を受けてこなかったということがある。もちろん現代のネット社会から見れば気の毒としか言いようがないのだが、最後の戦争の目的は日本が円市場を近隣諸国に求めたもので、その失敗の結果それまでの金融の仕組みが根底から変わってしまった歴史上の事実にあまり気付かれていないことに問題がある。因に現在ドルの影響を受けずに自国でお金を印刷している国の一つにお隣の北朝鮮があるのはご存知だろう。
そこからどのような価値観が高度経済成長を経て日本人の心に植え付けられたかと言えば、盲目的な拝金主義以外の何者でもなく、これは仏像を拝む姿勢と変わりがない(仏陀自身はそのようなことを望んではいない)。つまり、ものの価値観を正しく判断することが出来なくなり、その結果として土地バブルが起き、同じ水準で実生活に必要なお金は英ポンドよりも多い。実際にイスラエル人と仕事をした時にこちらの基準で見積もりを出すと「日本の物価が高いのは知っているが高額過ぎる」と言われた事もある(ひょっとして相手の得意な交渉術なのかと言う疑念も拭えないが)。もしお金という道具をクリエイティブに使いたいなら国家に債券を発行できるような金融家を目指すべきだろう。
逆に駆け出しの頃は「人は分からなくなると見た目で判断する」という仏の教えを利用して業界の中心部まで踏み込むことがあった。これはある芸人が「借金をして良い車を買い、その返済を動機として仕事に奮起した」と言っていたのを聞いて、車やら時計やら洋服やらを返済可能な限りで身なりを整えることだった。今でも音楽プロデューサーだと言えばそんな連想をする人が多いだろうが、虚業は素早く淘汰されてしまう高度な情報化時代であるし、他者のために何ができて、お金よりも大事なことがあり、知足を早い年代で獲得することの大切さを子供には物語にして伝えて行こうと思っている。
今でも仕事で都心に向かうとそんな内面よりも外面を重視する、シュタイナー曰く本能の赴くまま行動する動物のような人がギラギラしているのが、ある種の動物園のようで楽しい。8)
先日 Facebook である開発者と話していた中で「その発想はなかった!」と思ったのが有料 iPhone アプリのアップデート作業に対する課金方法について、バージョンの段階毎に、定期的なマイナーバージョンアップや偶発的な時候や行事の要素を理由に価格を下げて行き、大きな新機能が追加になるメジャーバージョンを公開する時に、元の設定価格に戻すというものだ。
これは機能や要素を段階的に追加するに書いたように、製品や計画についてその物語や将来像を構想することと等しいと思ったのと同時に、自らの想像力不足を(あるいは論理思考との均衡が崩れているのかもと)反省した。また、これもやり方の1つとして参考し他に何か面白い方法も考えてみる。
建築の設計の仕事もしていた彼に、「欧米のウェブサイトが格好良いものが多いのにくらべてどうして日本のウェブサイトってかっこ悪いものが多いのかな?」と聞いたところ、「それは、日本人が格好悪い建物や街に囲まれて育っているからだよ」という答えが返ってきて、とても納得だった。
日本住まいが長い日本人が内からの観念で言うと引用した意見は自然だと思う。しかし成田へ外国人を迎えに行き東京に向かうまでの町並みが田園風景から徐々にビルなどの近代建築と瓦屋根が混在する風景になると途端に「アメージング!」と言い出すものだから外からの観念はまた違ったものがあると思う。一方で六本木に連れて行くと、学生や企業戦士、公務員、893、ドラッグディーラーなど多様な種類の人間が一つの街にいることに「クレイジー」だという意見が多数を占める。
確かに海外に遊びに行くと「夜のこの通りには絶対に入るな」と言われる所が多い事が分かるが、知る限りで日本にそのようなところはほぼ存在しない(個人的に恐ろしかったのは名古屋の中央公園)。しかし90年代くらいから話に聞くところで、ローマの公園やマイアミの浜辺で一人野宿をする日本人女性旅行者や、スラムを体験したいと再開発前のNYハーレムの雑居ビルで寝泊まりをしたり(子供とカメハメ波ごっこをして遊んだとか)、あるいは芸能人に影響されてバンコクのカオサン通りにキスをするような日本人は多く存在している。これは海外という内にいる彼らの観念で言うと上述したことと正反対の部分で一致する。
つまり、どの環境や観念が良いとか悪いとかの問題ではなく、自分の状況を整理/判断し正しい場所に立って準備をするという Eric Schmidtのスピーチ にあるようなことが実践できるかどうかにあると思う。実際に日本国内では低い評価のものが海外で受けるという状況はこのようなことが根底にあるだろう。
P.S. なぜ iPhone アプリがブラジルで大ヒットしているのかは謎のまま。
動画を倍速にして書き出すスマートな方法
丁度仕事で同じようなことを別の方法で作業したので紹介。要件としては何倍速にするかということよりも、決まったフレームにある動作を削らずに尺を短くしてからクレイアニメーションのように10fpsくらいのフレームレートで表現するというものだったので、こちらの手法を利用して一旦全てのフレームを書き出し、そこから2種類の倍速にした動画をクライアントに確認するという作業工程を選んだ。具体的には6分31秒だった元の動画が12秒になっている。(その結果は→)
フラッシュでは尺が短くなった動画を埋め込んでいるので、フレーム毎に確認ができてコマの追加や削ることといった細かい調整も可能だ。参考までこのような作業で書き出した動画を英語では “Time lapse” という。子供が小さいうちに一度は撮影してみたいと思っている。
洋の東西や子供と大人など、人の立場や状況によって考え方の進行方向は真逆になることがあると、次に引用する2つの記事から再確認した。
最初にフレーム(意味)があって行動が決まるのであって、その逆ではない。
引用元: 超ガラパゴス戦略 – 池田信夫 blog.
この池田氏の意見は、西洋(ベイエリア辺り?)からの視点で現在から未来について語っているものだ。
ただし、昔の日本人の気質みたいなもので、理屈で人を説得するのが苦手なんですね。もともとそれは日本の禅が理屈よりも身体的実践を重んじた影響が大きいからなのですが。
一方、こちらの記事は東洋(日本)からの視点で過去から現在について述べている。そしてこれらの区別から考えなければならないのは、西洋と東洋が激しく対話している日本に於いて、前者のように行動を目的として先に意味や理屈を知るのか、あるいは後者のように、意味や理屈を知るために先に行動するのか、ということだ。
どちらの方法論も立場や状況に応じて必要性の意義があって、いずれにせよ現在を正しく分析する能力と肯定的な知的好奇心がその選択の助けになるだろうと思うし、どちらか一方しか知らない、という状況だけは避けたい。また物事を正しく区別できるようになると、その必要性が崩壊するという仏の教えも忘れてはいけないと思う。そうすると、鶏が先か卵が先かということは、宇宙がどのように起こったかと同様に肯定的な世界の中で生きて行く上で重要な問題ではなくなる。
例えば育児をしていると、古代バビロニアやギリシア・エジプトで確立された天動説による曜日という区別の感覚が不要になることを実感するが、子供が昼と夜の区別から理解し始め、暦に沿う保育園にも行き出すと、徐々にそれらの区別が意識の中に復活してくることが分かる。またこれはよくネット上でも見受けられる議論ではあるが、高校生辺りから適用される理系/文系の区別にも同様のことが言え、そのまま専門家になって大きな企業や組織に参加することも一つの選択肢になるが、まず正しく物事を認知し区別する能力が必要なことには変わりがない。
更新:もっと分かり易い喩えを見つけた。利他主義を念頭に仕事で使う分には Mac でも PC でもどちらでも構わないという状況になることが望ましい。
安いパソコンが欲しい人は、PCを買って節約できればハッピーであり、プレミアムパソコンが欲しい人は、高いお金を払ってMacを買うのがハッピーなのである。
引用元: 断然わかりやすいMac対PC論争 .
何を表現したいかによってワイヤーフレームの見せ方が異なります。
以前に、ある業務管理ウェブアプリケーションの仕様策定や要件定義の段階で、顧客がPPTによる「ワイヤーフレーム」を時間を掛けて作って(打ち合わせ当日に資料として配布して)いたのを見て無限の純粋さを感じたという件を話題にしたが、エンドユーザー向けのウェブページ制作で且つ、実装作業から顧客や担当者の確認作業に至るまでの反復時間が長〜いウォータフォール型方法論という条件であれば、上述に引用したような手法や導入方法は有効だと思った。平たく言えば伝統的な大企業とのやり方になると言えるだろうか。
しかし世界的な流れで手数を少なくし効率化を求める、強いて言えばクリエイティブな(個)人がサクッと作ることができるものなら、なんだってアリになろうとしている時代に、企画段階で時間を掛けて体裁を整える必要性は条件を問わず益々低くなる一方だと感じている。実際には顧客の性格や経験値にも因るのだが、スカイプなどのビデオ会議で手書きの図を示しながら納品に向けて作品を調整していく(そう言えば Skype for Mac がようやくアップデートで画面共有ができるようになった。)、あるいは打ち合わせの際に描いた図を iPhone のカメラで記録し確認用に共有するということが当たり前のようになってきている。またこのような概念の根底には「ソフトウェアは動いているものこそが設計書である」という考えがあるし、機能や要素を段階的に追加することで、あっという間に図は何度も書き換えて再確認の繰り返しとなるからである。
ものの序でに、例の管理ウェブアプリの画面遷移図を最初にどのように書いたのかその一部を公開しておく。この図を使って提案した後でも先方はエクセルを使って今までのメールのやり取りにIDを付与してまとめ出し、新たに30ページほどあるワイアーフレームをPPTで作成しようとしているのだから、いよいよ本格的にデスマに向けてホラ貝の音が鳴り出すところだろう。それよりもまず小さな機能を目標として動くものをサクッと構築後に動作確認を提示し、そこから次の機能を検討するということを繰り返して組み立てて行った方が効率的であると思うし、事実、30ページのワイアーフレームの提案で見積もると予算の許容を2倍も越えてしまい、これは企画重視で何でも押し込んでしまいがちな典型例だと感じた。
アジャイルWebアプリケーション開発では当然の方法論ではあるのだろうが、特にフロント側の制作しか知らない方に、こんな設計や企画の進め方もあるということを知る手助けになれば幸いである。(字が汚いのはご容赦願いたい。)また併せて取得するデータ設計の書類もあることをお忘れなく。



例えば、ナイス(nice)という言葉がある。おおむね、「素敵」、「いいね」、という日本語感覚で使ってよいが、nice の本当のコアは、ここではない。例えば、次の英語を日本語で訳せるだろうか。
“I like Fukui, because people are nice.”
人々がナイスだから、福井(平鍋の故郷)が好きだ。ということなのだが、この文章が腑に落ちたときに、nice の意味が獲得できる。この nice は、人が「優しい」さらには、「気持ちよく人に接する」という意味で、nice の中核に触れている。最近の日本語だと、(人が)「感じいい」という言葉がぴったりくる。
引用元: ソフトウェア技術者のための英語(7: Nice):An Agile Way:ITmedia オルタナティブ・ブログ.
米国嫌いのブリティッシュ英語圏にいる知人から「ナイス」は「ナイーブ」や「シャイ」などと同様に、日本語圏で使われる片仮名の意味とはかけ離れているので、特に他者に向けて乱用しない方が無難であると聞いたことがあるのはその語源を知れば明白で、他の同義語に比べてもより見下した、上から目線な意味合いを含んでいるという理由がある(本来は子供に向けて使う言葉らしい)。開国以降、日本で片仮名となって蔓延しているのもそのような理由がありそうだが、福井の人々が「ナイス」なのは強ち間違いではない…、と現地人の話し言葉から益々そう感じそうな抑揚を聞くことがあるだろう。:D
そんな冗談はさておき英語と言えば、今年に入って iPhone アプリ販売に必要な米国納税者番号を取得するためスカイプを使って向こうの公務員と電話でやり取りをしたのだが、住所について番地の数字を繋ぐ「ー」を「hyphen」と伝えていたところ、如何にも太っちょな黒人男性を連想させる低いゆっくりとした声の担当者が「You mean dash?」と尋ねてきたので、この二つには明確な違いがあると、タイトルタグ内で言葉を繋ぐようなSEO作業に於いては区別できていたものの、話言葉になると把握できていなかったことを知った。
The hyphen ( – ) is a punctuation mark. It is used both to join words and also to separate syllables of a single word. It is often confused with dashes ( –, —, ― ), which are longer and have different uses, and with the minus sign ( − ) which is also longer. The use of hyphens is called hyphenation.
中学時代の理科だったか英語だったか、教師が口にしていた言葉を無意識に使ってしまったのだが、違いを説明してくれなかったのは先方も理解していなかったからなのだろうかと思う。日本語の歴史背景にはない単語、特に片仮名で蔓延している「デザイン」のように注意が必要な言葉は多い。特にそこに意識が無い人、あるいは英語を使いこなせない人に限って多用しているものだから、個人的にはブログでも打ち合わせでも極力日本語に置き換えて発信するように心がけている。
現在テレビは、赤ちゃんの生活の一部になりつつあります。今回のgooベビー・アンケートの結果では、約7割の赤ちゃんが1日に1−2時間程度、テレビを視聴していました。私の研究所で行った調査でも、12−18カ月齢の赤ちゃん(330名、2006年関西地区で実施)がテレビを見る割合は、約9割。そして、約7割が1日に平均1−2時間程度テレビを視聴していました。このように、テレビは赤ちゃんにとって重要なメディアであり、テレビのコンテンツがどうあるべきかについては、慎重に考えていく必要があるものと思われます。
引用元: 『いないいないばあっ』大研究 – gooベビー.
ゲーム脳を唱うような自然原理主義を横目に、将来テレビはPCで視聴されることを実践している我が家では、EyeTV で各コンテンツ毎にマーカーを設定し iPhone 用の M4V ファイルに書き出し、制作者(ここはNHKなのかな?)の意図とは裏腹に番組の流れを断ち切って FrontRow で視聴している。というのは、番組を流しても本人の好き嫌いがある(早送りを要求される)ことに加え、必ず朝の8:15にテレビの前に座らなければならない無意味な習慣を避け、そして何より自分がファミコンや、最近で言えば「小島よしお」と Youtube の使用から学んだコンテンツの消費方法、強いて言えば効率の良い学習方法だと知ったからであり、子供が能動的に見る見ないの判断をする自由を早く身につけて欲しいと願ってやまないからだ。
更に言うと、M4V ファイルは iPod touch にも同期し外出先、例えば電車が主題のものなら実例を関連付けて教えることがもっと有効になる思う。実際に妻の同僚さんも iPhone で番組を見せていると言う話を(に加え次の年代に人気の番組名も)聞いたし、このような調査も技術進歩と共にあっという間に古くなってしまうのだろうと、引用した「テレビを視聴」という言葉はその注意喚起でもあると感じた。
ところで過去に、クラブのフロアに設置した室温計とMP3ファイルのBPMに代表されるようなメタタグとを連動した選曲システムというものを真剣に考えた事があるのだが、この心理学の先生が各コンテンツのシーケンスについてどこまで吟味しているのか興味深いものがある。
毎年モナコにあるカジノ、モンテカルロで開催されているバックギャモンの世界大会において日本から参加している望月プロが優勝した。現在開発している iPhone ソフトウェアに対し彼から多くの助言を頂いていることもあり(この肯定的な流れに便乗してw)記念としてポジションカードソフトを半額にした。開発日数から計算すると既に回収できているので無料で提供しても良いのだが、開発の速度や姿勢に斑が生じそうなのでご了承頂きたい。
ただ強い人ならいくらでもいます。頭のいい人がSnowieやGNUで時間を投資すればある程度のプレイヤーになることはいくらでも可能でしょう。しかし、彼はバックギャモンというゲームそのものに影響を与え、人間の素晴らしさを伝えられる人です。
彼の昨年の投稿になるが、引用されているようにバックギャモンというゲームはコンピュータによる解析と数冊の良書があれば短時間で基礎が身に付き、上級者と言われる部類のプレーヤーになるのはさほど難しいことではない。これは将棋の羽生氏の言葉「インターネットの普及がもたらした学習の高速道路と大渋滞」にも代弁されていることであり、開発しているソフトウェアはその手助けになることを目的としている。
一方、バックギャモンという起源が古く、また規則作りが巧いアングロサクソン民族によって発展したゲームをしていると、その単純さ故に数をこなせばこなす程、その奥の深さを楽しむことができる。個人的に勝負事は幼少の頃から歴史的には同系列と思われるサッカーをしていたのだが、先にバックギャモンから局面を読む力や戦術の考え方を学んでいたらと思う事が少なくない。
実際に例えば、実生活に応用していることとして他者との会話がある。特に子供が保育園に行くようになり外交が増えてくると、面識はあっても属性情報が少ない相手と話す機会が増えるのだが、このような状況において「会話」や「社交」という行為は、即興で相手の意識との均衡を保つことであるということに気が付いた。これはバックギャモンゲーム、特に「オープニング」や「ホールディング」という局面に近いものを感じるし、同じように日本にも「勝とうと思うと負け」といった教訓があり、また「自然体」という構えもあるが、いずれにせよ、相手との距離感を中立に均衡を保つことが重要であるという教えには変わりがない。
さらにこのゲームの面白いと思うところは、上述したような機会を引き起こすものとしてさいころの目が絡んでくるものだから、様々な局面でお互いの優位性というか温度差というか、相手とのやり取りに於ける流れや方向性が、遠く予測困難な元で決定されることだ。そして、そこから判断の早さや的確さが必要で、与えられた状況に不満を言う暇などなく、最善の手を尽くすことで次の自分の立ち位置を決定する、この一連のやりとりはまさに人生そのものであると思う。
“You cannot plan innovation. You cannot plan invention. All you can do is try very hard to be at the right place and be ready.”
Google CEO の Eric Schmidt 氏の言葉からも大渋滞を乗り越えるには、とても簡単な意識を維持し続けるだけで良いことが分かる。実際はそれが難しいことなのだが、コネや財産など非論理的な要素と無関係に実力に応じてやりたい事を能動的に決定できる、随分と良い世界になってきた気がする。