鶏と卵

2009年 7月 24日

洋の東西や子供と大人など、人の立場や状況によって考え方の進行方向は真逆になることがあると、次に引用する2つの記事から再確認した。

最初にフレーム(意味)があって行動が決まるのであって、その逆ではない。

引用元: 超ガラパゴス戦略 – 池田信夫 blog.

この池田氏の意見は、西洋(ベイエリア辺り?)からの視点で現在から未来について語っているものだ。

ただし、昔の日本人の気質みたいなもので、理屈で人を説得するのが苦手なんですね。もともとそれは日本の禅が理屈よりも身体的実践を重んじた影響が大きいからなのですが。

引用元: 歩き方だけでも、日本人と西洋人は大きく違う:日経ビジネスオンライン.

一方、こちらの記事は東洋(日本)からの視点で過去から現在について述べている。そしてこれらの区別から考えなければならないのは、西洋と東洋が激しく対話している日本に於いて、前者のように行動を目的として先に意味や理屈を知るのか、あるいは後者のように、意味や理屈を知るために先に行動するのか、ということだ。

どちらの方法論も立場や状況に応じて必要性の意義があって、いずれにせよ現在を正しく分析する能力と肯定的な知的好奇心がその選択の助けになるだろうと思うし、どちらか一方しか知らない、という状況だけは避けたい。また物事を正しく区別できるようになると、その必要性が崩壊するという仏の教えも忘れてはいけないと思う。そうすると、鶏が先か卵が先かということは、宇宙がどのように起こったかと同様に肯定的な世界の中で生きて行く上で重要な問題ではなくなる。

例えば育児をしていると、古代バビロニアやギリシア・エジプトで確立された天動説による曜日という区別の感覚が不要になることを実感するが、子供が昼と夜の区別から理解し始め、暦に沿う保育園にも行き出すと、徐々にそれらの区別が意識の中に復活してくることが分かる。またこれはよくネット上でも見受けられる議論ではあるが、高校生辺りから適用される理系/文系の区別にも同様のことが言え、そのまま専門家になって大きな企業や組織に参加することも一つの選択肢になるが、まず正しく物事を認知し区別する能力が必要なことには変わりがない。

更新:もっと分かり易い喩えを見つけた。利他主義を念頭に仕事で使う分には Mac でも PC でもどちらでも構わないという状況になることが望ましい。

安いパソコンが欲しい人は、PCを買って節約できればハッピーであり、プレミアムパソコンが欲しい人は、高いお金を払ってMacを買うのがハッピーなのである。

引用元: 断然わかりやすいMac対PC論争 .

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