建築の設計の仕事もしていた彼に、「欧米のウェブサイトが格好良いものが多いのにくらべてどうして日本のウェブサイトってかっこ悪いものが多いのかな?」と聞いたところ、「それは、日本人が格好悪い建物や街に囲まれて育っているからだよ」という答えが返ってきて、とても納得だった。
引用元: フォントをヒラギノ丸ゴシックに変えました : 僕は発展途上技術者.
日本住まいが長い日本人が内からの観念で言うと引用した意見は自然だと思う。しかし成田へ外国人を迎えに行き東京に向かうまでの町並みが田園風景から徐々にビルなどの近代建築と瓦屋根が混在する風景になると途端に「アメージング!」と言い出すものだから外からの観念はまた違ったものがあると思う。一方で六本木に連れて行くと、学生や企業戦士、公務員、893、ドラッグディーラーなど多様な種類の人間が一つの街にいることに「クレイジー」だという意見が多数を占める。
確かに海外に遊びに行くと「夜のこの通りには絶対に入るな」と言われる所が多い事が分かるが、知る限りで日本にそのようなところはほぼ存在しない(個人的に恐ろしかったのは名古屋の中央公園)。しかし90年代くらいから話に聞くところで、ローマの公園やマイアミの浜辺で一人野宿をする日本人女性旅行者や、スラムを体験したいと再開発前のNYハーレムの雑居ビルで寝泊まりをしたり(子供とカメハメ波ごっこをして遊んだとか)、あるいは芸能人に影響されてバンコクのカオサン通りにキスをするような日本人は多く存在している。これは海外という内にいる彼らの観念で言うと上述したことと正反対の部分で一致する。
つまり、どの環境や観念が良いとか悪いとかの問題ではなく、自分の状況を整理/判断し正しい場所に立って準備をするという Eric Schmidtのスピーチ にあるようなことが実践できるかどうかにあると思う。実際に日本国内では低い評価のものが海外で受けるという状況はこのようなことが根底にあるだろう。
P.S. なぜ iPhone アプリがブラジルで大ヒットしているのかは謎のまま。
動画を倍速にして書き出すスマートな方法
引用元: Macforest Weblog: QuickTime Proで動画をン倍速にして書き出す方法.
丁度仕事で同じようなことを別の方法で作業したので紹介。要件としては何倍速にするかということよりも、決まったフレームにある動作を削らずに尺を短くしてからクレイアニメーションのように10fpsくらいのフレームレートで表現するというものだったので、こちらの手法を利用して一旦全てのフレームを書き出し、そこから2種類の倍速にした動画をクライアントに確認するという作業工程を選んだ。具体的には6分31秒だった元の動画が12秒になっている。(その結果は→)
フラッシュでは尺が短くなった動画を埋め込んでいるので、フレーム毎に確認ができてコマの追加や削ることといった細かい調整も可能だ。参考までこのような作業で書き出した動画を英語では “Time lapse” という。子供が小さいうちに一度は撮影してみたいと思っている。
更新(2012/2/9):
Time lapse 動画の作り方を「QuickTime Proで動画の再生速度を変換する」って昔書いたけど、今ならiMovieの早送りを使った方が良いと思う。 http://t.co/ZTnDriGE
洋の東西や子供と大人など、人の立場や状況によって考え方の進行方向は真逆になることがあると、次に引用する2つの記事から再確認した。
最初にフレーム(意味)があって行動が決まるのであって、その逆ではない。
引用元: 超ガラパゴス戦略 – 池田信夫 blog.
この池田氏の意見は、西洋(ベイエリア辺り?)からの視点で現在から未来について語っているものだ。
ただし、昔の日本人の気質みたいなもので、理屈で人を説得するのが苦手なんですね。もともとそれは日本の禅が理屈よりも身体的実践を重んじた影響が大きいからなのですが。
引用元: 歩き方だけでも、日本人と西洋人は大きく違う:日経ビジネスオンライン.
一方、こちらの記事は東洋(日本)からの視点で過去から現在について述べている。そしてこれらの区別から考えなければならないのは、西洋と東洋が激しく対話している日本に於いて、前者のように行動を目的として先に意味や理屈を知るのか、あるいは後者のように、意味や理屈を知るために先に行動するのか、ということだ。
どちらの方法論も立場や状況に応じて必要性の意義があって、いずれにせよ現在を正しく分析する能力と肯定的な知的好奇心がその選択の助けになるだろうと思うし、どちらか一方しか知らない、という状況だけは避けたい。また物事を正しく区別できるようになると、その必要性が崩壊するという仏の教えも忘れてはいけないと思う。そうすると、鶏が先か卵が先かということは、宇宙がどのように起こったかと同様に肯定的な世界の中で生きて行く上で重要な問題ではなくなる。
例えば育児をしていると、古代バビロニアやギリシア・エジプトで確立された天動説による曜日という区別の感覚が不要になることを実感するが、子供が昼と夜の区別から理解し始め、暦に沿う保育園にも行き出すと、徐々にそれらの区別が意識の中に復活してくることが分かる。またこれはよくネット上でも見受けられる議論ではあるが、高校生辺りから適用される理系/文系の区別にも同様のことが言え、そのまま専門家になって大きな企業や組織に参加することも一つの選択肢になるが、まず正しく物事を認知し区別する能力が必要なことには変わりがない。
更新:もっと分かり易い喩えを見つけた。利他主義を念頭に仕事で使う分には Mac でも PC でもどちらでも構わないという状況になることが望ましい。
安いパソコンが欲しい人は、PCを買って節約できればハッピーであり、プレミアムパソコンが欲しい人は、高いお金を払ってMacを買うのがハッピーなのである。
引用元: 断然わかりやすいMac対PC論争 .