共通語
昔福井の友人が故郷に来た時に、親と会話しているのを聞いて「何を言っているのか分からない」と言われたことがある。また、熊本の友人が田舎の親と携帯で会話している様子を見ても、その内容がほとんど分からなかった。これらの体験から標準語の有り難みと方言の豊かさを知ることができる。
おばあちゃんだとさらに「なもなも」がついたりする。南無阿弥陀仏の意味か?
「なもなも」「な〜も」は否定を表していた気がする
「かまたなもなもなにしょかね!」と、おばあちゃんによく叱られたもんだ。引用元: 富山の言葉 – Chakuwiki.
自分の親の言い回しを聞いても、マンドクサ(´A`)<「ナモナモ」のような感じは分かる。ウィキペディアで調べると面白いことが分かった。
南無(ナム)とは、サンスクリット語のナマス(namas)およびナモー(namo)の音写。意訳すると、帰命、帰依という意味、つまり命を捧げる、それほど大事に敬うという意味が
引用元: 南無 – Wikipedia.
実際に言われてイラッとしたことがあるが意味を知ると、途端に脳の陰極に働く作用(感情)が失せてしまった。余談まで気になった部分がもう一つ、
ナマステ
インドにおける日常の挨拶言葉であり、貴方に感謝あるいは貴方を尊敬しますという意味である。ナマスは「感謝」および「尊敬」で帰命というほど宗教的な意味で使用しているわけではない。テは貴方という意味。引用元: 南無 – Wikipedia.
昔近所に住んでいたアーリア人に元気良く「ナマステ!」と毎朝合掌していたら、ある時「私、スリランカ人です」と流暢な日本語で返されたことがあって赤面した記憶がある。
それはさておき結局のところ、同時に複数参加していることは当然、何処のソーシャルにいても他者との意思疎通において共通語の相互理解に努めるべきだと思う。それは相手に敬意を持って接することで話を引き出して分析あるいは学習するという要件定義の聞き取り、さらに出力を繰り返せば、つまりお互いの意思疎通に欠かせない要素にもなり得る。
具体的な経験として、妻の田舎に行けばその地方の方言を理解し使ってみようとする(滞在の後半は自然に口に出る)事で意思疎通の一歩を踏み出し易くなるし、また仕事上では、これは特に論理的な思考法を好む男性に多いのだが、一度の会話(非同期通信では、セッションやスレッド、ポストとも言える)で完全理解することを念頭に置いた相手に遭遇する事がある。ひょっとしたら何度も同じ事を言うのが嫌いなB. ゲイツの悪影響なのかもと疑うが、手を変え品を変え語彙を変え、身振り手振りでお互いの意識の均衡(平和)を保つことが意思疎通なのだから、お互いが納得するまで反復を繰り返すのが望ましいことだと思う。
昔はお酒の席がその手段の一種だったのかもしれないが、余興の選択肢が多い今の時代にその需要は少なくなりつつある。逆に言えば、人に会うことや家族との時間が貴重であることに気が付くことでもあるし、通信料が劇的に安くなったオンラインの道具をうまく利用することが不可欠だと感じる。
P.S. 実生活は田舎の方を向いているのに、実際に人と合う場所が山手線内に向いているのは不思議。
個人事業主のウェブとiOSアプリ開発者で一児の父親。JavaScript, ActionScript, AppleScript, PHP, SQL, ObjCの読書実行試験運用管理を生業とし、BIND, SMTP, APACHE を FreeBSD, MacBSD, Mac OS X で使い、エディタは Vi, mi, Kod と遷移して現在は Smultron、そして Coda と Xcode の IDE を重用しています。作業の自動化や効率化の導入を応援しています。
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